ヤフー知恵袋における日蓮正宗信者の邪義に対する破折を加筆訂正し判りやすくしました。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12172356587


私の質問(破折)


日蓮正宗の信者の皆さんに質問します 4


「戒壇の大御本尊が一大秘法」ならば、なぜ、末代幼稚の一切衆生を救わんとする大慈大悲の日蓮大聖人が、

末代幼稚の衆生にも判るように

「戒壇の大御本尊に万法を具足す」

と書き残さず

「本門の本尊に万法を具足す」

とさえも書き残さず

*題目の五字に万法を具足す*御講聞書807ページ

と、「一大秘法とは題目」だと誤解させる文証だけを書き残させたのか????

お答えください。



日蓮正宗信者の方からの回答》


開目抄
「一念三千の法門は但法華経の文の底に沈めたり」

まず万法の肝心は、法華経寿量品文底に秘された三大秘法と
示されています。

妙法曼陀羅供養亊
「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師
一切の女人の成仏の印文なり」

日蓮正宗では、五字、七字とは曼陀羅、大御本尊を意味して
いるということです。
題目の五字とは、当然本門の題目を意味している、本門の題目
とは、本門の本尊に唱える題目を指しているのも当然です。

従って本門の本尊に唱える本門の題目には、万法を具足している。
脇書に「本門の戒壇」と示された大御本尊を顕されているのです
から、一大秘法は題目と理解するものは、信者にはいないでしょう。
宗門外からは、いろんな意見が出ていますが、しょせん犬の何とか
と受け止めています。



以上に対する私の破折》



ご回答有り難うございます。
要点だけを書きます。

>「一念三千の法門は但法華経の文の底に沈めたり」
まず万法の肝心は、法華経寿量品文底に秘された三大秘法と
示されています。


「万法」とも「三大秘法」とも書かれてないこの御文が【文証】になると思えるなら、極めて妄想が酷い状態です。


>「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師
一切の女人の成仏の印文なり」
日蓮正宗では、五字、七字とは曼陀羅、大御本尊を意味して
いるということです。

この御文が【文証】になると思えるなら、誤読か簡単な道理も判らぬ頭破七分の症状です。


例えば


「この花の色は赤だけども」

の「赤」とは、どういう意味でしょうか?

「赤とは花を意味している」

と思う人は一般に居ませんね。^^
「赤」は、"花の色を説明" しているだけです。


つまり

「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども」

の「五字七字」とは、曼荼羅の説明であって、曼荼羅そのものではありません。

曼荼羅の説明でしかない「五字七字」を曼荼羅の事だとするのを曲解と言い邪義と言うのです。


大石寺の根本教義は、このように「曲解」し、文証であるかのように「コジツケ」、大石寺の『大御本尊唯一絶対』教義へと「超拡大解釈」するものばかりです。



>題目の五字とは、当然本門の題目を意味している、本門の題目
とは、本門の本尊に唱える題目を指しているのも当然です。

仰るように「題目の五字」とは、「本門の本尊」「本門の戒壇」に並び称される言葉でもあり、天台の題目と区別する必要もありますから、御書の中に「本門の題目」と書かれてなくとも、道理によって、一大秘法や三大秘法における「題目の五字」とは「本門の題目」と読んでよいでしょう。


しかし、
「本門の題目とは、本門の本尊に唱える題目を指しているのも当然です。」
からは、大石寺人師の我見教義です。


大聖人は、天台の題目との「違い」について
【文証】
*像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて 自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり*

と、「広く他の為に説く題目」である事を御教示されているのであり、「本門の本尊に向かいて」等とは、教えられていません。
逆に、本門の本尊の無き場所であろうとも成仏できる「本門の題目」である事を御教示されています。

【文証】
*南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり*


>従って本門の本尊に唱える本門の題目には、万法を具足している。

ゆえに、貴方が述べられた大石寺人師の我見教義はすべて崩れ去り、
本門の本尊に向かわなくとも一大秘法である本門の題目には、三大秘法を始め万法が具足しているのです。

【文証】
*問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり*336ページ

題目の五字に一法として具足せずと云う事なし*755ページ


>脇書に「本門の戒壇」と示された大御本尊を顕されているのです
から、一大秘法は題目と理解するものは、信者にはいないでしょう。
宗門外からは、いろんな意見が出ていますが、しょせん犬の何とか
と受け止めています。

日蓮大聖人曰く

*彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり*


「犬の遠吠え」とは、堂々と確かな証拠を示さずに勝手な妄想や我見をわめき散らす事でしょう。^^


大石寺の主張が大聖人の如く「師子の吼るなり」となるためには、

1、大石寺の大御本尊の脇書きに「本門の戒壇」と書かれて居る鮮明な証拠写真。

2、その文字が「墨に染め流さずにコピーして候」の彫り下げ文字でない証拠。

3、その文字を専門の第三者が精査し「御真筆」と鑑定した証拠。

4、「本門の戒壇」が、「本門戒壇用本尊」の意味だけでなく、一大秘法をも意味する大聖人の金言。

が、絶対に必要です。
それらの証拠に欠けているものがあるならば、大石寺の主張こそが「犬の遠吠え」となります。
どうぞ、ご呈示ください。
まずは、1からどうぞ。^^


と言うか、
その前に、末代幼稚の人々をすべて、
大石寺の「大御本尊」そのものが「日蓮が魂を墨に染め流さずにコピーして候」
である現実を無視する盲信者にする必要がありますけどね。
(^O^)アハハ!!



以上に対する日蓮正宗信者の返答》


本門の本尊に唱える題目を、本門の題目と呼ぶ
ここまでは理解されているようですね、その場を
本門の戒壇というわけですが、一切衆生御受戒の
場、戒壇ということでしょう、これこそ自他共に
の題目、天台の自行の題目とのちがいです。
広く他の為に説かず>とはならないですね。

南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所は山谷荒野すべて
寂光土>
現在題目を唱える教団は、数多く存在しますが、対境
となる本尊は種々雑多ですね、題目のみを取り入れて
いますが、

本尊問答抄
「法華経の題目を以て本尊とすべし、釈尊を本尊とすべからず」

観心本尊抄
「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士となす一閻浮提
第一の本尊を此の国に立つべし」

日女御前御返事
「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはす
なり」

ここでいう法華経とは、寿量品文底の法華経、大御本尊を意味
している、以上本門の本尊に向かわなくてよいとは、示されて
いませんでしょう。



以上対する私の破折》


ご返答有り難うございます。

>本門の本尊に唱える題目を、本門の題目と呼ぶ
ここまでは理解されているようですね

まだ、私の文章が長かった事もあり、誤解されたようですね。
さらに問題を絞りましょう。

貴方の書かれた
「本門の題目とは、本門の本尊に唱える題目を指しているのも当然です。」
は、【大石寺人師の我見教義】です。
大聖人は、天台の題目との「違い」について

【文証】
*像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて 自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり*

と、「広く他の為に説く題目」である事を御教示されているのであり、

※「本門の本尊に向かいて」等とは、教えられていません!
※「本門の本尊に向かいて」等とは、教えられていません!
※「本門の本尊に向かいて」等とは、教えられていません!

大事な事なので三回繰り返しましたよ。^^


それでも、誤解しそうなので、問答形式で書きましょう。

Q: 本門の本尊に向かって唱える題目は、本門の題目になりますか?

A: 勿論、なりますよ。

Q: それなら、貴方は、大石寺教義の何処を批判しているのですか?

A:
1、大聖人の教える「本門の本尊」とは、

少なくとも【釈迦多宝を脇士とする南無妙法蓮華経の本尊】全てであり、
大石寺の教える《大石寺の大御本尊と、その大御本尊に繋がった本尊》だけが「本門の本尊」なる教義は、
御本仏の金言と御本仏の御本尊をも否定誹謗する極大謗法であると批判しているのです!

2、大聖人の教える「本門の題目」とは、

「本門の本尊」の存在する場所だけではなく【自行化他に亘って題目を唱える場所全て】であり、
大石寺の教える《大石寺の大御本尊と、その大御本尊に繋がった本尊に向かって唱える題目》だけが「本門の題目」なる教義は、
御本仏の金言と一大秘法たる【本門の題目】をも否定誹謗する極大謗法であると批判しているのです!



以上に対する日蓮正宗信者の返答》


文底秘沈抄  日蓮正宗の法主の我見教義

「所謂本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるを 
本門の題目と名づくるなり。」

本門の本尊の分身仏であるその他の御本尊に唱える
題目も本門の題目となりますね、

本門の本尊とその他の本尊の区別がつかないようですが
弘安二年の大御本尊御安置の場所を亊の戒壇、その他の
一機一縁の御本尊安置の場所を義の戒壇と言います。

大聖人の法門は、寿量品文底に秘された三大秘法ですね
三大秘法の根幹は、一大秘法の大御本尊です、この大御本尊
を離れて信じないところには、何の御利益もありません。

法華取要抄
「如来滅後二千余年に竜樹、天親、天台、伝教の残し給える
処の秘法何物ぞや、答えて曰く本門の本尊と戒壇と題目の
五字なり」

本門の本尊とは相貌が似ていれば、どれでも良いとはなり
ません。
脇書きに「本門戒壇」と自筆で示されている、この脇書き
がどの御本尊にもあるとしたら、貴方の云うようになる
でしょうが、「余は二十七年」の御本尊です。



以上に対する私の破折》


それは、貴方が、日蓮正宗から教え込まれた邪義です。


本門の本尊のある場所で「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱ふる」のも本門の題目であり、

本門の本尊なき場所で「己心の妙法蓮華経を信じて題目を唱える」のも本門の題目なのです。


【文証】


我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり*557ページ


*南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり*



>本門の本尊の分身仏であるその他の御本尊

と御書のどこに書かれているのか教えてください。


可哀想に、貴方も大石寺の猛毒悪知識を呑み続けて、頭破七分の症状が出てますね。

>>日蓮正宗、創価学会の狂信者の症状
http://nammyohorengekyo.blog.jp/blog-entry-73.html

もう忘れましたか?


私はこのように書いてます。(一部加筆)

大石寺の主張「大石寺の大御本尊には『本門の戒壇』と書かれているから一大秘法」

が大聖人の如く「師子の吼るなり」(正義)となるためには、

1、大石寺の大御本尊の脇書きに「本門の戒壇」と書かれている鮮明な証拠写真。

2、その文字が「墨に染め流さずにコピーして候」の彫り下げ文字でない証拠。

3、その文字を専門の第三者が精査し「御真筆」と鑑定した証拠。

4、「本門の戒壇」が、「本門戒壇用本尊」の意味だけでなく、一大秘法をも意味する大聖人の金言。

が、絶対に必要です。

それらの証拠に欠けているものがあるならば、大石寺の主張こそが「犬の遠吠え」となります。
どうぞ、ご呈示ください。
まずは、1からどうぞ。^^