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    2017-03-25 06:25:46

    【釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし(観心本尊抄)】
    【出世の本懐を遂げ給ふ(中略)余は二十七年なり(聖人御難事)】
    【弘安二年の大御本尊(日興跡条条事)】
    オマエの勝手な都合で文証を継ぎ足ししても、現実は『本門の本尊』が『出世の本懐』であられるのだ。
    これが三大秘法の中心となるのは、明らかな道理である。
    何故なら、
    題目は唱えるもので、
    本尊はその対象だからだ。
    そして戒壇は本尊の安置場所。
    バカが仏法を論ずるな。


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    質問者

    kangaeruhito777さん

    2017-03-25 16:40:11

    >【釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし(観心本尊抄)】

    それは、大聖人聖寿52歳の時の御文だ。
    大石寺が一大秘法とする「弘安二年の御本尊」の建立伝説は、それから6年も経ってからの事である!
    こんな呑気な御本仏が居るか!
    「バカ」以下の大バカよ! (^O^)アハハ!!


    >【出世の本懐を遂げ給ふ(中略)余は二十七年なり(聖人御難事)】

    大悪魔の教団の教えに思考停止し、鵜呑みにするしか能の無い「バカ」以下の「大バカ」よ。少しは、これよんで、頭を回しなさい。

    >>戒壇本尊が「出世の本懐」と言うウルトラ拡大解釈
    http://nammyohorengekyo.blog.jp/archives/1033971803.html

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    質問者

    kangaeruhito777さん

    2017-03-25 16:49:05

    >これ(大石寺のコピー黒板本尊)が三大秘法の中心となるのは、明らかな道理である。
    何故なら、
    題目は唱えるもので、
    本尊はその対象だからだ。
    そして戒壇は本尊の安置場所。

    まったく、道理になってない。
    これが道理だ!

    題目は、いつでもどこでも唱えられる。(普遍妥当性あり)
    本尊は、限定された場所でしか拝せない。(普遍妥当性なし)

    題目を唱えれば成仏出来ると大聖人は繰り返し教えた。
    本尊を拝すだけで成仏出来るとは教えてない。

    本尊は、その場所しか戒壇にならない。
    題目は、いつでもどこでも戒壇(霊山)となる。

    【証拠】
    *霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり*


    >バカが仏法を論ずるな。

    ではない。
    「大バカ」のために仏法を懇切丁寧に説いて上げているのだ。
    この世で地獄あの世で永久無間地獄に堕ちる君達が可哀想過ぎるから、忍辱の鎧を着て御本仏の金言を伝えているのだ!