「創価学会永遠の指導者」戸田城聖は、こう指導する。
「謗法のやからがもつ ご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがない のである。」
なんと、自身が「御本仏」と仰ぐ日蓮大聖人が直接書かれた「ご真筆の御本尊」に対し、その御本仏日蓮大聖人の御魂が住んでないと、指導しているのである。
その理由は「謗法のやからがもつ」からと言うのだ。
では、その理由の根拠となる文証は何かと言えば「日蓮が魂は謗法の山には住まず」と仰せられた言葉がある と言うのである。
そして、また 「富士大石寺に背くやからがもつ御真筆の御本尊には、大聖人の魂は住まわれるわけがない」 と繰り返し指導を続けているのである。
まず、 「日蓮が魂は謗法の山には住まず」 との意味となる文証とは、どのようなものか。
それが、なんと! 御書のどこにも見つからないのである!
しかし、それをコジツケたらしい文がある。
 日興上人曰く *地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候へども* である。
これまた、なんと! 創価学会永遠の指導者が、御本仏日蓮大聖人の御真筆本尊を否定する理由の根拠としたのは、 なんと、大聖人御自身の言葉ではなく、日興上人を通しての「間接的な言葉」だったのである!
 いわゆる「傍証」と言うものでしかないのである!
しかも、ご覧の通り「日蓮が魂は謗法の山には住まず」などと言う内容にはほど遠いものだったのだ!
もしも、この御文を「日蓮が魂は謗法の山には住まず」の意味にコジツケるためには、どのようなことが考えられるだろうか?
「御遺言」にと書かれている事だ。
もしも、この御文「地頭の不法ならん時は我も住むまじき」が大聖人がお亡くなりになる直前に話された「ゆいごん」であるならば、 「われ(我)」とは、死後の『魂』の事とコジツケられるかも知れない。^^(いや、無理だが)
しかし、「御遺言」が「遺された言葉」の意味ならば、「我も住むまじき」(私も住む事は出来ない)は、「引っ越し」すると言う意味でしかない。
現に、その後、日興上人は、その「御遺言」に従い、地頭が謗法をやめなかったため身延を離山している。
つまりは「引っ越し」したのである。
当然、 「地頭が不法行為を行った場合には、私もその地頭の土地に住む事は出来ない」 といった普通の意味で解釈し、我が師、日蓮大聖人の仰った通りに日興上人もされたのである。

日蓮大聖人曰く
*いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候*

 御歳61歳の「ゆいごん」と言ってよい御文である。
このように 「どこで死んだとしても身延に墓を建てるように」としながら、一方で身延の地頭が不法行為を犯したときに備えるような「ゆいごん」をする訳がないだろう。
 
以上のように、どこから考えても、それは「魂」がどうなるなどと言う意味などではなく、単に「謗法悪知識の者から供養を受けてはいけない遠離せよ」との原理からの「引っ越す」意味の言葉でしかないのである。

つまり、 この日興上人の *地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候へども* の御文を悪用し、 「日蓮が魂は謗法の山には住まず」等という、カルト的意味に変え、 その変質悪用した文によって、 「富士大石寺に背くやからがもつ御真筆の御本尊には、大聖人の魂は住まわれわけがない」 と、超拡大解釈した極大謗法の邪義を説いているのが、創価永遠の指導者なのである。

この詐欺的指導をもっと分かりやすくまとめれば、

1.「地頭が謗法を行った場合には私も地頭の土地に住む事は出来ない」
の意味でしかない、しかも日興上人の御文を根拠として、

2.「日蓮が魂は謗法の山には住まず」
と仰せられた言葉があると、あたかも日蓮大聖人ご自身が「魂」云々と指導されたかのように説き、さらに

3.「富士大石寺に背くやからがもつ御真筆の御本尊には大聖人の魂は住まわれるわけがない」
 へと、三段詐欺悪用した超拡大解釈をしている訳である!

なんと恐るべき『創価永遠の指導者』であろうか!

御本仏日蓮大聖人曰く
*日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし*

この御文によって「大御本尊に大聖人の魂が宿っている」と教えるのが日蓮正宗創価学会である。
 御本尊にではない! 「大御本尊」つまり「大石寺の "戒壇本尊にのみ" 日蓮が魂が宿っている」と教えるのが、恐るべき『創価学会永遠の指導』なのである!
しかも「日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」の御文は、大石寺の「戒壇本尊」なるものに言われた御文では無い! 「戒壇本尊建立」とされる弘安二年よりも、6年も前に経王殿に与えられた御本尊に対する御文なのである!
 すなわち、日蓮正宗創価学会が「一機一縁の御本尊」などと呼ぶ大聖人ご真筆本尊に対する御文である!
それを、勝手に「戒壇本尊だけに大聖人の魂が宿っている」文証とするのだから、恐ろしい!
それだけでも恐るべき事なのに、この曲解によって、この「日蓮が魂」と明確に言われた経王殿授与御本尊をも含む「御真筆本尊」に対し、「大石寺の戒壇本尊直結でなければ、絶対に功徳が無い」などとしているのが、日蓮正宗創価学会なのである!!!
もう、狂いに狂いに狂った恐るべき大悪魔の宗派教団である事が分かっただろう。

大聖人が御本尊を始めて顕されたのは、楊枝御本尊は別として佐渡におられた1272年からであろうから、1273年に経王殿に与えられた御本尊に対して「日蓮が魂」とされたことは、すべての南無妙法蓮華経の御本尊を「日蓮が魂」と捉えるのが道理である。
その道理を無視し、6年も前の経王殿に与えられた御本尊に対する御文である事実も無視し、御書に一文も無き「戒壇本尊だけが日蓮が魂」の文証とするなど、まさに邪教と呼ぶしか無い!
さらに、その曲解によって、経王殿に与えられた御本尊を含む御本仏ご真筆であることが明らかな多くの御本尊を「魂が宿ってない」「絶対に功徳がない」などと誹謗するなど、大悪魔の教団でしかあり得ない究極の邪義である!!
*日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし*
とは、「日蓮の魂は、南無妙法蓮華経の以上のものでは無い」と言う意味である!
御本仏の魂は、南無妙法蓮華経を超えるものではないのである!
具体的には南無妙法蓮華経の "文字" を超えるものではなく、南無妙法蓮華経の "文字" 即御本仏の魂である!
「戒壇本尊だけが日蓮が魂」とする日蓮正宗の邪義は、文証が一つも無い!
それに対し、 「南無妙法蓮華経の文字の書かれた御本尊が大聖人の魂」である的確正確な御本仏の金言は枚挙にいとまが無い!

一例を出そう!

*仏の御心はこの文字に備れり*(発迹顕本後51歳御作)
*此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり*(51歳御作)
*文字は仏の御魂*(51歳御作)
*此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師*(52歳御作)
*日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし*(52歳御作)
*今の法華経の文字は皆生身の仏なり*(54歳御作)
*この文字は釈迦如来の気にも候なり*(57歳御作)
*変じて仏とならせ給う文字なり*(59歳御作)
*釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは民の王を恐れ星の月を敬ふが如し*(59歳御作)

南無妙法蓮華経の文字御本尊は、すべて御本仏の魂なのである!
御本仏の魂である御本尊が謗法の輩のもとにあるときに、御本尊から御本仏の魂が消え去るなどと言う発想がそもそも大間違いなのである!
文字即魂である。
南無妙法蓮華経の文字が御本尊に存在する限り、御本仏の魂は消えない。
謗法の寺院と言う環境であろうとも、謗法の信者と言う環境であろうとも、御本尊から御本仏の魂は消える訳がないのである。
南無妙法蓮華経は能生の根源であり、南無妙法蓮華経の文字は、そのまま御本仏の魂であるからだ。

御本仏曰く
*妙法蓮華経の五字は万法能生の父母なり*

それでも分からぬ頭破七分の末期の者に、さらに的確な文証を提示しよう。

 御本仏曰く
*金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か*

南無妙法蓮華経の御本尊は【真金】である!
どのような大謗法の環境にも影響されないのが【御本仏の魂】である!

御本仏曰く
*今夜頚切られへ・まかるなり、この数年が間・願いつる事これなり、此の娑婆世界にして・きじとなりし時は・たかにつかまれ・ねずみとなりし時は・ねこにくらわれき、或はめこのかたきに身を失いし事・大地微塵より多し、法華経の御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養・心にたらず国の恩を報ずべき力なし、今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、左衛門尉・兄弟四人・馬の口にとりつきて・こしごへたつの口にゆきぬ、此にてぞ有らんずらんと・をもうところに案にたがはず兵士どもうちまはり・さわぎしかば、左衛門尉申すやう只今なりとなく、

日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし*


大謗法の者達に囲まれ亡き者にされんとした時空において、御本仏の魂は、あまりにも眩しく輝いたのである!
この、強き強き御本仏の魂が、謗法の場所にあるから「住まない」などとは、あまりにも御本仏を軽んじる極大謗法である事を知れ!

いかなる環境であろうとも南無妙法蓮華経の御本尊から御本仏の魂が消える事は無い!
信仰者の謗法によって、信仰者の功徳が打ち消されるだけである。

 御本仏曰く
*秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん*

南無妙法蓮華経の大良薬であろうとも謗法の毒を混ぜれば功力は少なくなるのである。
それは、大良薬自体から効能が消えたのではない。謗法の毒によって効能が弱められたのが道理である。
だれが持とうと剣自体の切れ味は変化しない。剣を持つ者が卑屈であれば役に立たないだけである。
謗法の組織であろうと南無妙法蓮華経の御本尊に功徳が無くなるのではない。
謗法の組織に縁する信仰者側の謗法の因よって、信仰者に真実の功徳が消えて行き、最後は無間地獄に堕ちるのである!



 2013.6.21 加筆訂正した。
2016.11.19 加筆訂正した。
2017.3.18 大幅に加筆訂正した。
参考 佐渡始顕本尊 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%B8%A1%E5%A7%8B%E9%A1%95%E6%9C%AC%E5%B0%8A