日蓮大聖人曰く
*汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か*

<現代語訳>
君よ!すぐに我が身の安心を思うならば、最初に国の安穏を祈ろうではないか。

四表とは東西南北で「世の中」の意味であり、広く「世界」とも解されるが、前後の文脈からして、ここでは「一国」の意味だ。
個人の幸福と国の平和は一体である。
国が平和でなければ、当然、個人の幸福もない。
仏道修行し悟りを開けば、国の平和など関係ないと言うのは観念論である。

*汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か*

の直前には、

*他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん*

<現代語訳>
国が侵略される等すれば、どうして驚かない騒がない事があろうか。
国を失い家をなくせば、どこで修行し悟りを開くのか。

と、出家者の観念的成仏観を打ち破られている。

この一国(日本)を安穏たらしめるには、どうすればよいのか。

日蓮大聖人曰く
*先臨終の事を習うて後に他事を習うべし*

「日本国の『臨終』とは、なんなのか」から思考を開始すべきなのである!

日本国の「臨終」とは、我々が、3.11で思い知ったように、原発が破壊される事である!
日本に50基も置かれている原発が攻撃され破壊すれば、日本は即滅亡する!
ゆえに、

【日本の原発が攻撃され破壊されないためには、どうすればよいのか】

から思考をスタートしなければならないのだ!


日本の原発は、容易に破壊されるものである。

この前提が間違っているのなら、私の論はすべて空論である。
しかし、この前提が正しいならば、私の論こそが『現実論』である!
米軍の「抑止力」による平和など「一面お花畑」の観念論、妄想でしかない。

私のこの前提が正しいものとして、論を進めよう。



つづく