>どんな業病も根本は 法華誹謗から起きている だから戒壇の大御本尊へ 懺悔・悔悛するしか 治らない 014

救い難き大石寺狂信者達。
自分達こそが救われるべき愚かすぎる衆生とは夢にも想わず、他の信仰者を救おう等と考えている。
「法華誹謗」の「法華」とは、「大石寺の大御本尊」だと洗脳され切り、
「謗法」とは、「大石寺と大石寺ゲーカを誹謗すること」だと完全に刷り込まれている。
御書のどこに「法華とは唯一の大御本尊」等と書かれている?
御書のどこに「謗法とは代々のゲーカを誹謗する事」だと書かれている?

大聖人の御教示される「法華」とは、釈尊の法華経であり、就中、法華経の眼目である南無妙法蓮華経の題目の事である。
この南無妙法蓮華経の題目の書き顕された御本尊を絶対に誹謗してならないのは、言うまでもない道理だ。
「法華」の眼目である南無妙法蓮華経の御本尊を誹謗しながら、
「戒壇の大御本尊へ 懺悔・悔悛するしか 治らない」
と教えるのは、
「車を安全に止めるには、アクセルを踏みながらブレーキを踏め!」
と教えているようなものだ。
「車はスピンしながら無間地獄へ真っ逆さま」である!

大聖人の御教示される「謗法」とは、法華経の正しい実践者を軽善誹謗する事である!
そこに「僧俗」の差別などない。
ましてや、大石寺ゲーカに限るような教え等ないのだ!
いわんや、南無妙法蓮華経の御本尊を誹謗する大石寺ゲーカにおいておやである!

日蓮大聖人曰く
*若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり*

特定のものだけを絶対化し、特定の人だけを絶対化するような教えは、仏教とは正反対の危険過ぎる外道の教えであり大悪魔の教えであることに、一刻も早く気付く事である。

日蓮大聖人曰く
*本門の釈尊は我等衆生の事なり*
*真如の仏あり我等衆生の事なり*
*過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり*


釈尊唯一絶対化さえも打ち破ったのが大聖人の仏法である!