日蓮正宗では、血脈相承なるものによって、人が絶対化される。
「御本尊には、血脈相承された者による開眼が必要、開眼しなければ、偽物魔物だ」としながら、結局は、その血脈相承された者の「許可」さえあれば、開眼の儀式をしなくてもOKなのだ!
もの凄い権力である!絶対的である。絶対の御本尊さえも左右する絶対ぶりである!
そんな、絶対の中の絶対の力が備わる血脈相承とは、一体何なのか???
創価学会も少し昔に言って来た

「富士の清流700年、一器の水を一器に移すが如く~」

のように、
「きっと、人類救済と広宣流布の事しか考えていないような少欲知足の清らかな大菩薩が代々誕生し、次々と国家諌暁し、他宗を破折し尽くし、大難を受けながらも、本門戒壇の大御本尊の不思議な力用に厳然と守られた神々しいまでの歴史なのだろう」
とイメージされても可笑しく無いだろう。
それでは、現実はどうなのだろうか?

大石寺住職一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E5%AF%BA%E4%BD%8F%E8%81%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7
によって、在位表を見てみよう。
法主と法主の在位日付を見比べれば、その法主が、「血脈相承」を受けてから何年間法主であったのか、「血脈相承」なるものが、本当に「一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶なし」であったかが、判るだろう。

まず、問題となるのが、
5世日行 6世日時 7世日阿も 現日蓮正宗にとって最も大事な「僧宝」であるにも関わらず、「御生誕日」が不明なのだ!
生まれた日が分らないのだから、何歳で亡くなったのかも分らない。
「もしかして、何歳で亡くなったのかを知られたくないんじゃないだろうな?」と怪しまれさえするのである。

次に問題となるのが、その7世日阿である。
日阿の在位は、
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
1406年6月4日 - 1407年3月10日
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
となっており、
血脈相承なるものを受けてから、たった『9ヶ月』ほどしか、法主の座に居なかったのである。
なんと軽い血脈相承であろうか!
と思って、死亡した日を見ると、
なんと、最後の在位と同じ1407年3月10日ではないか!!
つまり、
7世日阿は、血脈相承を受けて9ヶ月で死亡したのである!!
まるで、猛毒を飲んで死亡したかのような有様だ!
日蓮正宗信徒が、金科玉条とする法主絶対の根拠である「血脈相承」が、このような恐るべき結果をもたらしていたのである。
一体全体、内証成仏の血脈相承を受け、本門戒壇の大御本尊を毎日拝んで(?)9ヶ月で死亡とは、どういうことだ!!
日阿に関してさらに調べると
「僧ではなく入道」
「貫主の代官」
「6世日時は血脈を相承することなく遷化」
「要法寺より、法を相承するにふさわしい僧(8世日影)を招聘」
「在家である柚野浄蓮に相承を預け」
などなど、もうメチャクチャである。

日阿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%98%BF

日蓮正宗では、

「その代官として日時上人を支え続けられたのが日阿上人とのことだった。そのため、第7世日阿上人の御在職は僅か9ヶ月間と記録されているが」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/DIARY/05-01.htm

などと説明しているそうだが、大石寺住職一覧が事実ならば、

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
内証成仏の血脈相承を受け、本門戒壇の大御本尊を毎日拝んで(?)9ヶ月で死亡
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が、現日蓮正宗血脈の現実である。
もう、それだけでも充分、日蓮正宗の血脈相承なるものが、絶対的な権威ではなく、まったく信用できない怪しいもの、恐るべきものだと、頭破七分の者以外は、納得するだろう。

が、どこまで恐ろしい血脈なのか、さらに追求してみよう。

※なお、板本尊が何時から有ったのかさえも不明であるから、上古の法主が板本尊を拝んでいたのかも不明であり(?)とした。


怪しい、怪しい、怪し過ぎる日蓮正宗の血脈相承2
http://nammyohorengekyo.blog.jp/archives/1033971599.html


2013.7.19 加筆訂正した。