<御本仏である文証>

■日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。

■日蓮は一閻浮提第一の聖人なり

■されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師 範なり、又主君なり。[p1017-1018]



<御本尊に関する文証>

■法華経の外題を書きて王へ上げ宅に帰りて父のはかに向いて血の涙を流して申す様は・天子の責重きによつて亡き父の遺言をたがへて・既に法華経の外題を書きぬ。
不孝の責免れがたしと歎きて三日の間・墓を離れず食を断ち既に命に及ぶ、三日と申す寅の時に已に絶死し畢つて夢の如し、虚空を見れば天人一人おはします・帝釈を絵にかきたるが如し・無量の眷属・天地に充満せり

■問て云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。写本


■法華宗は此れ等の宗々にはにるべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経々すら法華経の大海に入りぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いわうや法華経の題目をや。白粉の力は漆を変じて雪のごとく白くなす。須弥山に近づく衆色は皆金色なり。真蹟


<血脈相承に関する文証>

■地涌千界の出現・末代の当世の別付属の妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に取次ぎ給うべき仏勅使の上行菩薩なり云云、取次とは取るとは釈尊より上行菩薩の手へ取り給うさて上行菩薩又末法当今の衆生に取次ぎ給えり是を取次ぐとは云うなり、広くは末法万年までの取次なり、是を無令断絶とは説かれたり、又結要の五字とも申すなり云云、上行菩薩取次の秘法は所謂南無妙法蓮華経なり云云■

<問題とされる文証>

去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他 国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔 をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ

日蓮が弟子等は臆病に
ては叶ふべからず。彼彼の経経と法華経と勝劣、浅深、成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況や其以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて民とも下し、鬼畜なんどと下しても、其過あらんやと得意て宗論すべし。写本